2014年05月18日

「絶望の裁判所」

今さらながら、「絶望の裁判所」を読んでみました。瀬木比呂志さんという元エリート裁判官の書かれた本で、かなり話題になった本です。「最高裁中枢の暗部を知る」、とか、「裁判所の門をくぐる者は一切の希望を捨てよ!」とか、かなり大げさなことが書いてあるのですが、はっきり言って、とてもがっかりする残念な本です。瀬木さんは優秀な裁判官だと思っていたのですが、こんなエリート裁判官が、社会人の初歩的な常識も持っていないなどということに驚きました。どこの会社でもよいから1年くらい新入社員の立場で働いてみれば、自分がいかに恵まれていたのかよくわかると思います。裁判所とはいっても多人数が働いている組織なのだから、組織としての常識をふまえて行動するのは当然でしょう。この本に書いてあることのほとんどは、一般社会では常識であって、こんなのでいちいち絶望されてしまっては、社会人として生きていくことはできません。逆にこうした感想を持つ方がエリート裁判官であられたこと自体に驚かされました。瀬木さんはご自身でサラリーマンには向いておらず、社会・人文科学の研究をする学者になるべきだったと書かれているのですが、これも大きな間違いです。社会・人文科学の研究者を目指す者が、どれだけの丁稚奉公を強いられるかわかっているのでしょうか。瀬木さんが、裁判所の中で守られて地位を築かれて大学教授に転身されたのは、極めて幸せなことだったのではないかと思います。この本は突っ込みどころが満載ですが、たとえば、「転身に関するいやがらせと早期退官の事実上の強要」などと書かれており、「大学講義の準備のための年次有給休暇の承認願いについて、日にちが多すぎると言い、一度引っ込めろと言った。私は、やむなく、そのことには同意した。」というエピソードを書かれているのですが、これが社会常識に反していることに気付いていないことは極めて痛い話です。私自身が銀行を退職した際は、私しかやっていない仕事を担当していたこともあり、結局、最終日の翌朝午前2時まで働いて引き継ぎをしていました。責任ある立場の人であれば、それが常識であって、こんなところで労働法の基本原則違反とか裁判官の身分保障の趣旨にももとる行為だとか主張するのは、何を甘えたことを言っているのか、どれだけ社会常識がないのか、とビックリします。いろんなエピソードが書いてありますが、大した話は書かれておらず、裁判官はかえって恵まれているなということがよくわかります。今年の司法試験は今日が最終日ですが、裁判官を目指す人はこんな本にとらわれず、ぜひ裁判官になっていただければと思います。
posted by いいぜん at 00:20| Comment(0) | 書評